猫はそんなに妖怪めいているのかといえば、全く逆に神様として祀られいているところもあります。
 日本に来たのは仏典をネズミの害から招く為に来たといいます。
 さて、ネズミの害にあって困るのは、稲も同じですが、そのあたりはすでお稲荷さまがいらっしゃいます。そう、猫の守るのはカイコ。養蚕の守り神としてなのです。カイコはネズミの害を受けやすいのです。そこでネズミ避けの効能を持つとして猫神さまは祀られるのですね。
 ただ、あくまで猫はお使い。お稲荷様にとっての狐のポジションになります。祀られているのは保食神。穀物を始め、生活に必要なさまざまなものを生み出したとされる神様で神社にいっていただくのは御札になり、それを見るとネズミはよりつかなくなると言われました。猫の絵にネズミよけになるというのは、そうした俗信があり、御札だけでなく、猫の絵を貼っている事もありました。

 とこのような実利的な猫神さまですが、都内のものに眼を向けますと、また別物となります。あまり妖怪という感じのものはないのですが、その多くが江戸時代に生まれたものです。

 自性院 新宿区西落合1-11-23
自性院には猫地蔵と言われるものが伝わっています。こちらは文明9年(1477年)に太田道灌と豊島泰経が江古田ヶ原で合戦しました。その際に道に迷った道灌の前に一匹の黒猫が現れ、自性院に導き救った。後に猫の死後に地蔵像を造り奉納したといいます。今でもその地蔵はありますが、秘仏として、見られる日は限定されています。ちなみに自分的には猫に見えませんでしたが、デザインなどの問題ではなく、多くの人に撫でられすり減ってしまったためです。

今戸神社 台東区今戸1-5-22
 招き猫発祥の地のひとつとして言われています。江戸時代末期、付近に住んでいた老婆が猫を育てることができず愛猫を手放した。夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」。そして今戸焼の焼き物にして浅草神社(三社様)鳥居横で売ったところ、評判になったと言われています。ただ、そうして有名になったのが戦後ですので、現在、神社の中にあるものは昭和以降のものです。

 豪徳寺 世田谷区豪徳寺2-24-7
 寛永10年(1633年)彦根藩主井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたという。寺の名ももともと弘徳院だったが、直孝の法名にちなんで豪徳寺となった。
 豪徳寺ではその猫を「招福猫児(まねぎねこ)」と呼び、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)として祀り、「招猫殿(招猫堂)」を作った。招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている。招福猫児は右手を上げて、何も持たない白い招き猫となっている。ちなみにゆるキャラブームの魁となったひこにゃんもこの猫がモチーフである。

 猫塚 港区三田1
 猫塚というのは、江戸時代有馬藩の殿様に気に入られた女中がいましたが、酷いやっかみを受けて自殺してしまったのです。その女中の飼っていた猫が主人の敵をうつ為に、いじめた老女を食い殺してしまいました。猫は退治されましたが、弔う為に建てられたといいます。

 猫塚 墨田区両国2-8-10
 文化13年(1816年)、猫をたいへん可愛がっていた魚屋が、病気で商売ができなくなり、生活にこまるようになります。猫が、二両のお金をくわえてき、魚屋に渡します。しかし、ある日を境に猫の姿を消しました。猫は姿を消し戻ってきません。
 商家で、小判をもって逃げようとしたところ、殴り殺されたのです。それを知った魚屋は、商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋とともにその遺体を回向院に葬りました。ちなみに猫塚は、義賊の伝承で知られる鼠小僧次郎吉の墓と隣合わせにあります。