藪知らずは、市川の町中に残る鬱蒼とした森で、入ってはならず、中に入ると出られずに迷って死ぬといいます。

 そんな場所に黄門さまが挑んだという伝説があります。水戸光圀といえば、天下の副将軍といわれています。黄門さま、実は結構な武人なのです。水戸家といえば徳川本家で何かあったら、将軍職を継ぐ御三家の一つですから当然といえば当然なのですが。イメージとしてはテレビの水戸黄門に置き換えられてしまっていますね。放映以前に作られた映画では類人猿や大蛇と戦っていますから、温厚な好々爺というのは実は最近のものなのです。

 黄門さまは藪知らずの話を聞くと、「そんな馬鹿なことはあるわけはないと」と思われ、入っていってしまいました。何もなければ迷信で終わったのでしょうが、噂通り迷いました。そうして立ち往生していると品のいい女性が現れます。「ここは無闇には入ってはならぬ。うぬが、徳に免じて今日のところは帰してやろう。だが、努々忘れるでないぞ。次はないということを」 出てきた黄門さまは青い顔で「凡人は足を踏み入れてはならない。お前達は決してここに入ってはならないぞ」と告げたといいます。
 また、その女性の由来と思われる伝説も残っています。藪知らずの中から時折機を織る音が聞こえてくるというのです。また、その機を織る道具は近所の農家に借りにくることがあり、帰された道具には血がついていることもあったといいます。
 では、藪知らずがこうなった理由は何なのでしょう。いくつも説があり、どれもなかなかおもしろいです

 藪知らずは江戸時代名を広く知られるようになります。名をはせ始めた理由は、黄門さまのお話が、錦絵として流布したためです。しかし、そこには藪知らずの由来については語られていません。それは何なのでしょう。実はいくつか説あります。
 ヤマトタケル。ヤマトタケルが陣所にしていた為、立ち入りを禁じた。千葉は松戸や、海神といったヤマトタケル関連の地名がありますからおかしくはないですね。
 古墳・墓所。死者の眠る場所だから出入り禁止になっていた。これはなんとなく納得できますね。
 平将門。将門の陣に対して藪知らずが鬼門になっていたため、入らないようにされた。将門の影武者であった人形たちが埋められているから。将門と対峙していた貞盛が、八門遁甲を用いて、ここに死門を作ってしまった。これらはどうも物語のような気がしますね。
 飛び地。藪知らずがあるのは八幡だが、所有しているのが行徳であった為、地元の人の侵入を許されずに荒れるに任されていた。これは江戸時代によく言われたものですね。
 八幡宮。近くにある八幡宮を整備する際に仮の宮を置いたところだから。あるいは八幡宮で行われていた放生会の跡。放生会というのは、捕獲された生類を山河池水に放ちその生命を救う法会。人間の滅罪・功徳になると言うもので、八幡宮の本宮である宇佐ではじまったともいわれ、関連の深いものです。簡単に言うと八幡宮の敷地であったということですね。
 このようにいろいろで定説がありません。しかし、古い伝説の上に新しい宗教の聖所が存在するのは珍しい事ではありません。藪知らずはそんな変遷の歴史が残り続けた場所といえるのではないでしょうか。

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実のところ今はもうそんなに広くなく、横から見ると意外と狭いです

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