鏡の井は、もともと清水であったといわれる。
 三韓征討の時神功皇后が箱崎浜に訪れられたときに、竹内宿祢とともに清水を訪れ、涼を得られた。

 それから、年月が過ぎ、一組の老夫婦が、筥崎宮で子はないことをうれい願ったところ、女児を十六夜の日に授かった。娘はこの清水を水鏡とし、成長し、神に授かった子として健やかに美しく育った。ある時、殿上人の目にとまり、内裏に出仕することになった。

 清水は、不思議なことに十六宵が都にいってから枯れてしまったが、名水という話だけは残っていた。陰陽師である安部晴明が唐からの帰朝の途次、話を聞いてこの浦に立ち寄ることがあった。
 清水を尋ねたが、誰もそれを知る者はなかった。そこで、晴明は携えていた杖を呪文を唱えながら空中に投げると、杖はたちまち白龍に化して地上にくだると 、清水が噴き出してきた。
 晴明は石を集めて井筒を築いて、去っていった。
 この井戸は枯れることなき続き、太閤秀吉が博多を訪れた際はここの水が使われて茶がたてられたという。